その日を僕は、観客席で迎えていた。
試合終了と共に、コートの中が入れ替わる。ベンチも早々に片付けが始まり、選手が応援席に向けて挨拶をしている。意味の無い“お疲れ様”の拍手が鳴り響いていた。
「……。」
僕は手を叩かず、ぼんやりとアリーナを後にする選手たちを見送る。一番最後を歩いていたプリン頭のセッターが、振り返って僕を真っ直ぐに見上げた。それが合図だったわけではないけど、僕はふらりと立ち上がって、客席から選手の待機場所がある下階へと下りていった。
待機場所はいろいろの音で溢れかえっていて耳に痛い。ボールケースが走る音。シューズのスキール音。試合前の雄叫び。勝った歓声。負けた泣き声。どれもよく知った音だけど、何処か遠く感じていた。
赤いユニフォームの集団を見つける。普段通り、には程遠い、静かな音駒の皆さん。僕は掛ける言葉も無いので、遠くからその様子を見ていた。
「おらー、さっさと片付けろ。夜久、泣いてンじゃねーよ、オマエの所為じゃねーよ。 山本、オマエうるさい。来年があンだろ、泣いてる暇が有ったら練習しろ。」
飄々とした主将の声に、チーム全員が重い腰を上げて動き出す。背中しか見えないアノヒトは、いつも通りシニカルに笑ってるのだろうか。
あらかた片付けが終わって、音駒の人たちが荷物を持って出口に向かい始める。廊下の端に寄って、視線を下に向けたまま見送っていた。
「胸張って歩け、バーカ。俺、忘れモンとか確認してから行くわ。先行ってろ。」
チームメイトを見送る声。ああ、きっと、駄目だ。
気配で目の前を通り過ぎたのを感じて顔を上げると、また音駒のセッター、孤爪さんと目が合う。するとくるりと後ろを振り返り、背後のソノヒトに声を掛けた。
「クロ、先行ってるから、ゆっくりでいいよ。」
「あ?」
不審そうな声が返ってくる。そして孤爪さんは僕の方へ走ってきて、珍しく間近で視線を合わせてはっきりした口調で言った。
「月島、クロの事、お願いね。」
「なんで、僕が……。」
強い目にこっちの方が背けたくなる。
「クロが駄目なの、月島なら解ってるでしょ? 俺には癒やせないから。」
それだけ言うと、先に行く列に戻っていく。小さく溜息を吐いて、残されたソノヒトを見やる。
「おやおや? うえーい、ツッキー」
片手を上げて笑う黒尾さんに、無性にイラついた。
「ツッキーってやめて貰って良いですか。」
お互いに歩み寄って、通路の真ん中で肩を並べる。そのまま肩を組まれて、強く引き寄せられた。
「俺の応援に来てくれたの?」
「音駒の試合を観に来ました。」
「またまた。俺の勇姿を観に来てくれたんだろ?」
さも当然と言わんばかりの視線が、真横から突き刺さる。
「負けたくせに。」
「う、わー。キツイねえ。」
寝癖の髪をガシガシと掻いて。まだ笑うのか、この人は。
首に掛かる腕を掴んで解き、コートの襟を直す。そのままポケットへ手を突っ込むと、行き場所を失った黒尾さんの手も、自分のジャージのポケットに収まった。
「……。」
「……。」
二人とも無言で足だけを進め、通路を抜けていく。
「折角、ツッキーが来てくれたし、まあ後でメシ行くとして、何か奢るわ。」
そう言って体育館の出入り口にあるロビーの端に見える、自販機を頤で指す。別に咽は渇いていなかったけど、流されるようについて行った。
「好きなの押せ。」
自販機に硬貨を落としながら声が掛かる。甘いホットコーヒーのボタンを押した。ガコンと大仰な音を立てて缶が出てくる。取り出そうと屈んだら、もう次のが落ちてきた。ホットのブラックコーヒー。スポドリじゃないんだ。
「あ、悪い。手とか、平気?」
「大丈夫です。はい。」
「サンキュ。」
渡した缶コーヒーはプルタブを開ける事なく、その大きな手のひらに包まれた。僕も同じように、胸の前で両手で握り締める。ギュッと。
「散々でしたね、今日は。血液流れてませんでしたよ。血栓ですか?」
コーヒーだけを見つめて告げる。
「拾い負けるなんて、あなたらしくない。」
今観たばかりの試合を思い返しながら、淡々と、でも顔は上げずに続けた。
「ブロックも、スパイカーに振り回されて、抜かれるし……。」
「……うわあ、ツッキー、非道い。コレでも一応、傷心中なんだけど?」
黒尾さんもコーヒーを見ながら話しているんだと思う。声が直接僕の所ではなく、床に反射して届いた。
「あなた程度の人が僕の師匠だなんて、次の烏野の試合が不安になります。」
「……っ、スマン……」
掠れた声音に余裕が無くなったのを感じる。僕の心臓が痛い。気を抜いたら同じように余裕が無くなってしまうかも知れない。
「1セット目相手のマッチポイントで、あそこは僕でもストレートだって読めました。」
「ク……ソっ、」
だんだん冷えていく手が、缶コーヒーから熱を奪っていく。飲んでもきっとヌルい。今のこの、二人の空気のように。
早く、いつもみたいに。
「あれで流れが変わりま――、」
「――オマエ、ね……っ!」
いつも僕に見せるように、感情を曝け出せば良い。
僕の台詞を遮って、掴み掛かってくる黒尾さんの手から、缶コーヒーが落ちる。鈍い音がして転がった缶が、僕の爪先に当たった。視線を落ちた缶、自分が持っている缶と上げていき、最後に間近で凄む、黒尾さんを見た。やっと、だった。やっと感情を浮かべている。どれが正解かは判らないけど、少なくとも間違っている表情じゃなかった。
「リベロの人、怪我ですか? 本調子じゃなかった。」
「え?」
何が起きているのか解らない、そういう顔。いつもつらつらと言葉を紡ぐ唇は、なにも発せずにだだ開いたままだ。
「灰羽も変でした。連戦でしたもんね。」
「あ……。」
「流れが悪いところ、全部引き受けて、全部背負い込んで、」
胸倉を掴んでいた手が離される。空いた腕が、僕の背に回った。今日は逃げないでおいてあげる。
「孤爪さんが心配してました。流石、脳ですね。ちゃんと知ってる。」
コツリと肩に乗せられた頭。震えているのは気付かない事にしておく。頬に触れる髪が小刻みに揺れていた。
「……蛍……」
「はい。」
低い声が掠れて、どこかに掻き消えていく。
「3セット目のデュースに持ち込んだ一人時間差、アレは格好良かった、です。」
抱き締めてくる腕の力が強くなる。仕方なく僕は、その背に手を回した。
・・end
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