徴。


「おかえり。遅かったね?」
「おう。」
 玄関でぞんざいに靴を脱ぎ散らかしている時任に、リビングのソファから声を掛ける。ついでにちらと壁掛け時計に目をやると、遅いにも程があるんじゃないかなーって。ソコのコンビニまでにしては。

 ドサッ。

 テーブルの上にいつものコンビニの袋。でも多分、いつもの店じゃない。
「いつものトコに無かった? 期間限定『花見弁当』?」
 コンビニ袋を放り出して目の前を通り過ぎていく時任を目で追う。うーん。そんな風に置いたら弁当崩れちゃうなー。や、そうじゃなくて。

 ふわ、と漂う残り香が。

「んー。売り切れっつーからもいっこ先のセブンまで行ってきた。」
「おつかれさま。」
「おう。」
 時任はまるで気づいてないよーで、冷蔵庫を物色してペットボトルのミネラルウォーターを直に飲んでいる。関係無いけど、時任の喉の動きと首筋の稜線に見惚れちゃった。
「……時任。」
「あン?」
 咥えてた煙草を指先に持ち替えて呼びつける。足で冷蔵庫の扉を閉めた時任が、相変わらずの無警戒ぶりで傍に寄ってきた。ちょっと機嫌悪いんだけど。こーゆー時は気づかないのね。
 ソファの背を跨いで隣に腰を下ろした時任の腰を引き寄せて、いきなり首筋に鼻を埋めた。
「ちょ、ナニ? 久保ちゃんっ。」
 慌てて押し退けようと胸を押してくる両手。本気でヤればいいのに。右手一本でカタはつくでしょ? ヤらないならヤるだけ。
 首筋を下から舐め上げて、耳朶を唇で挟む。心臓の場所に当てられた手袋越しの右手が、強く握られるのを感じた。
「煙草。」
「……え……っ?」
 気づいてないんだ。この違和感。俺のじゃない、匂いに。
「ホープ?」
「……なんの、コト、……だよっ?」
 俺の部屋なのに。俺のモノなのに、違う徴。
 コエ震わせて、カラダ堅くして、無理矢理顔を向けて俺を見る。すぐ傍の吐息に混じるのは甘いコーヒーの香りとセブンスターの匂いだ。ココは、イイ。だから唇は塞がない。
「煙草の匂い。俺のじゃないし。」
 少しだけ躯を離して見下ろす。時任は本気でナニ言ってんのか解かんないんだろう、目をまん丸にして見上げてきた。
「はあ?」
「時任から俺のじゃない匂いがする。くやしーからヤっちゃおっかな。」

 動物的習性ってヤツ? マーキングとか、匂い付けとか。

 しばらく呆然として、それからなんか思い出そうと首を捻っていた時任は、曖昧な記憶を誤魔化すように睨み付けて口を尖らせる。
「不可抗力だっ。前歩ってたオッサンがそーいやー煙草吸ってたよーな?」
「へー。」
「信じてねーだろ?」
 不安そうに俯いて、上目遣いで呟く時任。
 俺は手にしていた煙草を咥え直してその手で頤を持ち上げると、真っ直ぐに見つめ返す。
「信じてるよ。」
 だけどそーゆーコトじゃないから。



 俺のモンなの、おまえは。



 ソファが抗議の音を立てる。
 あ、そーいえば弁当。





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